対談この人と
話そう...
| 2024年9月発行(vol.102) |
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たかす文庫「この人と話そう…」
洛風林 堀江 麗子 さん 愛子 さん |
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| 聞き手 蓮井愛子 過去の取材はこちらから |
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プロローグ:蓮井愛子
5月下旬のある日、洛風林の現社長である堀江麗子さん、帯の作画・資料館の管理をされている堀江愛子さんのお二方に会いに、京都へ出掛けてまいりました。 祖母の代から営んでいる呉服屋という生業、これからの着物業界について私なりに少しずつ考える様になった時、一番にお話を伺ってみたいと思ったのが洛風林さんだったのでした。というのもいつも着物の母が普段からよく締めている青い帯、それが洛風林さんの「花曼荼羅」という帯で、まだ何も知らない学生の頃から母の着物姿というとこの帯を締めているところを思い出すほど好きだったのです。 市内にある洛風林さんの資料館にはお祖父様の堀江武氏、お父様の堀江徹雄氏が蒐集された東欧や中東、アフリカの染織物、中央アジアの刺繍布「スザニ」等々が美しく、丁寧に、それぞれの思い出と愛情を込めて展示されていました。そのひとつひとつの来歴などを、堀江愛子さんに伺いながらじっくりと拝見させていただいた時間はまさに至福のひとときであり、また愛子さんのお姉様である堀江麗子さんからはとても貴重なお話を伺うことができました。 |
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一生のライフワーク
蓮井愛子:洛風林さんは、麗子さん達のお祖父様である初代の堀江武さん(明治40年生まれ)の「真実に美しいものは常に新しい」というモットーを今も大事に受け継がれていらっしゃいます。今、麗子さんは社長として経営という立場で洛風林らしい帯作りというものをどういうふうに盛り立てていこうとされているのでしょうか?また、着物離れが進んでいる中で帯を作るということ、織物の文化を残していくということにどういう想いで取り組まれていますか?
堀江麗子:私が絡風林に入りましてかれこれ四半世紀、それ以前はアパレルの会社に勤めていましたが、父(堀江徹雄氏)が病気がちとなり母が代わりに頑張っているのを見ながら、自分にできることがあれば、と思ったのがきっかけです。でも最初は自分の役割が全然わからなくて。
洛風林同人(※洛風林の仕事を請け負う機屋・織り手さんを指す)の勝山さん(勝山織物五代目勝山健史氏)が宿題みたいなのを出してくれはるんですよ。「麗子さん、加賀友禅にはどんな帯が合うと思う?」とか。その時はあまり真剣に受け取っていなかったんです。「麗子さん、将来何がしたいの?」と聞かれたときに「ペットショップがしたいです」と答えたくらい(笑)、自分が何をしたいか分からなかった。でもそうこうするうちに勝山さんが志村さん(志村明氏:1975年沖縄県竹富島にて養蚕・糸織り・織りまで一貫して行う染織を始める。愛媛県野村町シルク博物館付属織物館・染織講座講師、沖縄県立芸術大学・非常勤講師などを経て現在文化財保存修復学会会員、勝山織物株式会社絹織製作研究所代表)と出会って、二〇〇二年に勝山織物さんが長野に絹織製作研究所を建てるという時に、私も立ち合わせてもらって。) 志村さんも勝山さんも、絹に対する志を高く持って切磋琢磨して来られた方、一方で私はまだ若くて知識が追いついていなかったので、お二人の話を理解できず悔しい思いもたくさんしたんですが、絹織製作研究所で織られる有水羽絹(うすはぎぬ)を初めて羽織らせてもらったときに、全然違う感覚になったんです。ほんとに神聖で、「私が触れてもいいのかな、だけどこれを纏うことで浄化されるような…これが本当に絹を纏うということだな、これを伝えていくことが私の使命…」、と思ったんです。そこで仕事に自分の役割を見出せるようになったんです。 研究所を立ち上げた頃は勝山さん自身も今後どのようなスタンスで取り組むべきか悩んでいて、まずはいろんな方に向けて発表したんですが、塩繭という、それまで誰も見たことのない織物だったのでなかなか手応えを得られなかったようで。勝山さんから洛風林で紹介してほしいと相談をされた時に、母が私に「こんな素敵なもの扱わせてもらえるのならそれをあなたの役割と思って一生のライフワークにしたら」と言ってくれて。それから猪突猛進で、小売屋さんに「ほんとに美しい織物なんです!!」と無我夢中で(笑)。何年もかかりましたけど、少しずつ認めてくださる方が出てきて、それで自分自身もやっと認めてもらえた、ゼロからはじめたことがやっと形になって、そこで自分自身も認めてもらえたという自信に繋がり、今まで以上に家業にやり甲斐を見出せるようになりました。もちろん、他の機屋さんや小売店さんとの間にもいろんなエピソードがありそういった経験が今のものづくりに生かされています。 |
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出会い、必然
蓮井愛子:洛風林さんのHPにある「葉桜の記」というコラムに、”物も人を選んでやって来る。行くべき所へ意思を持って動く”というお話が書かれていましたが、今のお話もそういう運命というか必然を感じますね。
堀江麗子:やっぱり必然だなと思います。私が何かやるというのじゃなくって私にはこういう役割があるんだって。
父は私がこの業界に入ることに最初は反対していたんですよ。でも父が病気がちになり、祖父が亡くなって、母が一人で頑張って機屋さん、職人さん、そして社員に支えられている洛風林を守ろうとしている姿を見て、なにか手伝えたらと思って今に至るんです。それでも私一人ではできなかった。後から妹たちが入ってきてくれて、三人で役割分担しているから、安心して任せられます。祖父も母もよく、私たち三姉妹が三本の矢で、と言ってました。
蓮井愛子:姉妹というのは心強い存在ですよね。そういえば呉服業界は売り手側、問屋さんはずっと男性の多い社会でした。でも今は色んな場所で女性が活躍しています。洛風林さんのものづくりに関して特に女性的なことを意識したことはありますか?
堀江麗子:私は仕事柄、色んな方にお会いしてお話を伺う機会があるんですが、今の女性はみなさん自立されていて自分の意思がしっかりあって、力強い方が多いように感じます。父の代も祖父の代も…、祖父の場合は白洲正子さんと交流がありましたし、うちの帯はその頃から自立した強い女性が好んでくださる帯だったんじゃないでしょうか。
なので私は、この時代、この世界、今を生きているから、自分たちがときめくものを作る、という気持ちを大事にしています。それから、女性男性という区別ではなく色んな方を想像して、私の好みだけに偏らないようにしながら洛風林の良さを求めていきたいですね。着物を着るって、自分でもリフレッシュするし、気持ちが切り替わりますよね。何かしら不安を抱えながらも多様性に富むこの時代を力強く生きている方々に、時には心躍る、時にはほっとするような洛風林らしい帯を作っていけたらと思います。 ただやっぱり職人さんはものが作りにくい状況で、現場は危機感を持ってます。昔二十件以上あった機屋さんが今は数件ですし、十年以上前から言われていることだけど、いまだに対応できていないんです。
堀江愛子:勝山さんのところも新しい人の募集をしていてもなかなか見つからないそうです。でも去年の秋から入られた方は、十年前にたまたまアクシスという雑誌で勝山さんのつくられた織物を見て「すごい綺麗!」ってびっくりされて、憧れを持って長野の方にも見学に来られたんですけど、その時はご縁がなくて、でも十年後に「どうしてもあの時に見たものが忘れられない」ということで、入ってきてくれたそうです。
堀江麗子:そう、だからやっぱり私はものの力ってすごいなと思います。私たちが自分の意思で作ってるんじゃなくて、そのものの力に動かされて…、だから私も、「こんな綺麗な絹織物があるんです!」ってがむしゃらになれましたし、失敗もしたし辛いこともありましたけど、負けるものか!と思って突き動かされてきた気がしています。そういうものに出会えて私は幸せだと思いますね。
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エピローグ:蓮井愛子 資料館にて、私のたどたどしい質問に笑顔で応じてくださる、おふたりの後ろに初代・二代目さんの面影を見るようなひと時でした。 今回おふたりとの対談を通し、洛風林さんの帯が三代に渡り着物愛好家に好まれる所以は、いつの時代にも柔軟に世界中の美しいモノに目を向け、学び、結ぶ女性を想像しながら帯という形に落とし込んでいるからではないかと思いました。「真実に美しいものは常に新しい」という言葉には普遍的な美の存在と同時にいつの時代にも美しいものに対しての飽くなき探求心が籠められているのではないでしょうか。 とても学びの多い、温かい、素敵な時間を過ごすことができ、心から感謝の日でした。 |
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