ある晩秋の雨の日に「イサム・ノグチ庭園美術館」を訪れました。
今年、生誕百年を迎える彼が、牟礼にかまえた仕事場が、そのまま残ってる
歩く美術館。そこに彼は一体何を残したのでしょうか。
「価値あるものすべて最後には贈り物として残る」というのは
イサム・ノグチの言葉です。雨にぬれた庭園美術館で見た光景は、まさに
天の贈り物のようでした。目に見えるところには何も無理がなく、その空間に
身を置くものを、静かに遠い生命の故郷に導いてくれるような気がしました。
彼が残した石から、雨に誘発されて、宿る生命が浮き立っているようでした。
それを見て、彼には、きっと、世界中の遺跡を見て回り、人間の根源を探した
時期があったのではないかと思いました。
彼がいちばん好んだというイサム家の縁側。軒先からは雨が縞のように
犬走りに落ちています。無彩色の雨の縞の向こうに、柿がただ一つの色をなして
浮かんでいます。
その景色を見ながら、「価値あるもの」とは何だろうと考えました。
そして、もし人間に「価値あるもの」が作れるとしたら、それは高い精神を
もつ人にだけできることだろうと思いました。
それからは、いにしえにつくられてそのまま残っているもの、たとえば寺社や
仏像などを見るときに、それを作った名も無い職工たちの精神の高さに思いを
はせてみるようになりました。何百年の、いやときには千年以上残る贈り物を
残せた人の精神の高さは、いったいいかようなものだったのでしょうか。
雨のイサム・ノグチ庭園美術館は、私にこの気づきを残してくれたのです。
この美術館はイサム氏と他の職人さん達の仕事場だったことが、また深い感動を
与えてくれます。
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