対談この人と
話そう...
2004年3月発行(vol.20) |
たかす文庫「この人と話そう…」 | 陶芸家 藤塚 光男さん |
||||
聞き手 蓮井将宏(や和らぎたかす店主) |
1952年滋賀県長浜市生まれ。
|
■秦秀雄氏との出会い
店主:やはり、藤塚さんの陶芸家としての物語は、秦先生との出会いなしには始まりませんね。
藤塚:ええ。北大路魯山人の右腕であり、骨董の目利きとして名を馳せた秦先生の著作を、学生時代に読み、雷に打たれたような感銘を受けたことが、すべての始まりでしょうね。秦先生のご住所を出版社に問い合わせて、「ぜひお目にかかりたい」と手紙を書いたんです。一介の法学部の学生がですよ。今から思うと冷や汗ものですね。
店主:お会いになってどうでした?
藤塚:ただただ緊張して、何も話せなかったです。でも「先生が本に著されている『美術品ではない、暮らしの中の器の素晴らしさ』という考えに共鳴しました。自分もそういう作陶を、ぜひやりたいんです」というプレゼンテーションだけは必死でしました。すると、先生はご自分の息子さんの釜(九谷青窯)に連れて行ってくれて、「この人、お前のところで頼むわ」と。こうして何も知らない僕が、作陶で生きるための第一歩を踏み出せたのです。
|
|
■原初の古伊万里から見えること
店主:藤塚さんは1600年初頭の原初の伊万里に心酔されていて、ご自分の作品もそれをベースにされていますが、その魅力の神髄は何ですか?
藤塚:原初の伊万里とは、まだ商業化されていない、言い方を変えると職人が試行錯誤している途中の、未完成な伊万里なんです。しかし、それだけに作ったときの職人のうぶな楽しさや感動がよく表れているのです。「うまく描いてやろう」とか、そうしたコーマ―シャリズムがまだ垣間見えず、線一本に、「これでいいかな」とか「よし、これは面白いな」とかいった、職人の生の気持ちが表れている作品が多いのです。それがとても僕の心に響くのです。自分もその頃の感動を再現してみたいと思うのですね。ちなみにそれから間もなく、1650年ころになると、伊万里は藩の国策的な産物になり、どんどん商業的な完成度を高めていきます。そうなってからの伊万里は、僕的な興味からは外れていくのです。
店主:すると、原初の伊万里を焼いていた職人たちは、経済的には大変だったでしょうね(笑)。
藤塚:まったくその通りで、おそらく極貧だったと思います。でもせっせと焼いているわけです。その理由は「好きだったから」としか考えられません。この職人たちの生き様も自分の志と重なるところがあって、ますます原初の伊万里が好きになるのです(笑)
店主:試行錯誤しながら、よりよい道を探している職人の夢や勢い、そしてためらい。その背後に見える生き様。それらを写しとった作品を作りたいと、藤塚さんは思われるのですね。
藤塚:ええ。僕にとっての「写し」とはそういうことなんですね。ただ単に線を似せるとか柄を真似するといったことではありません。
|
|
■人と会って手渡す楽しさ
店主:藤塚さんは精力的に個展を開かれますね。
藤塚:個展は、お客様の顔を見ることができて、自分で作品を手渡すことができますから。それに僕に会いたいと思ってくれる人とも会えるでしょう。そうした交流が、僕にはすごく嬉しいし、大きなエネルギーになるんです。僕の器を買ってくださる人は、おそらく物を買いたい人ではなく、そういう気持ちやエネルギーの交感をしたい方なのではないでしょうか。個展はそれができる、本当に貴重な時空だと思います。
店主:そういえば、当店で藤塚さんの個展をすると、「藤塚さんに会って買いたい。いつ来展されますか?」というお問い合わせが必ずあるんですよ。きっと藤塚さんのそういう気持ちがお客様にも伝わっているのでしょうね。3月10日からの個展では、また、大きな感性とエネルギーの交感の和ができそうです。ご来高を楽しみにしています。
|
|
←back・next→ |